最近、ミニマリストに興味がある。
「物が増えても心が満たされない」私の場合は全くそのとおりだ。
私はモノで幸せにはなれない。たとえばとっても大好きなカエルグッズを手に入れて、部屋にカエルが増え、目に入った際の癒やしは感じられても、これは以前に何度も体感した微細な幸福。心の中では「何か違う」。別にSNSで自慢したいわけでもない。部屋をカエルで溢れさせたいわけでもない。
「物が増えても心が満たされない」のような言葉を見かけ、うつの傾向はあれど、すべてがうつのせいではないのだなと安心した。
断捨離は頻繁にする。リサイクルなど方法があり、あげた人を喜ばせられる。
現在の断捨離に問題はないと思う。
問題は、好きなものを買っては「何か違う」と感じる事。お気に入りのパンツや靴下は何足も必要だろうか?だ。
ミニマリストはyoutubeで海外の人のroom tourを見て知ったが、日本でも思ったよりは浸透している言葉のようだ。
ちなみに日本国外をとりあえず「海外」と呼ぶのが気に食わないのになぜこう言うのかというと、日本語の動画だけを避けて世界全国の動画を観てるからだ。英語を使う動画でも投稿者の住む所がアメリカかイギリスかフィリピンか、投稿者自身はアメリカ人かそれとも…と分からない事がある。
…だが最近は日本の人の動画も結構観るようにしてる。
日本ではBGMに、「ゲームやアニメの別に良い曲でもなければ悪い曲でもない印象に残らない日常系BGM」みたいな、悪く言えばダサい曲を使ってる人をよく見る。どこで拾ってくるんだろう。youtubeで配布してるのかな。
英語圏の動画ではスタイリッシュだったり落ち着くような生音っぽいBGMをよく聴くので、たまに日本の動画をいくつか視聴するとアッ全然雰囲気が違う。BGM次第で動画がスタイリッシュにもマヌケにもなる。
動画演出のステレオタイプはその国ごとに使用頻度の多いソフト、その国のテレビ番組や人気の動画や文化によるのだろう。